ラベル カナディアンロッキーへの旅 Day 4 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2010/08/15

7月20日 Day 4 - 行程


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この日はジャスパー近辺をうろうろしていただけなので、走行距離は74.5km

7月20日 Day 4 - 4

ジャスパーイエローヘッド博物館を出た頃には、雨もやんでいた。
早めにホテルにチェックイン。
この日渡された部屋番号は205号室。
ちなみに、一泊目の部屋が21号室、二泊目が22号室、三泊目が223号室が駄目で、204号室と、続いていたことに気づいた。 ちょっと不思議。

荷物を置いて、ジャスパーの町へ。

VIA RAILジャスパー駅

ジャスパー駅の待合室
石造りの観光局

柱にあった落書き
観光局の前に置いてあったのは…
熊捕獲用の罠
ここに熊が出没するのではなく、
ディスプレイとして置いてあるとのこと



駅の向こうにエディスキャベル山


ピザ屋の前に置いてあったオブジェが非常によく出来てて、ウケタ。
足元には、この辺あらゆるところにある、「DO NOT FEED WILDLIFE(野生動物に餌をやるべからず)」と書いてあります。

ピザ食べよ~っと… ん?

あれ、肩に誰かの手が…

(゚д゚)ウマー
この日はプライムリブステーキでも食べに行こうと思っていたのですが、朝食を食べ過ぎたのと、疲れが溜まっていため、先日日本で買ってきた「スープでおこげ」で済ませてしまった…


ホテルの部屋からも見えた

2010/08/12

7月20日 Day 4 - 3

マリーン渓谷を後にして、ジャスパーの町へと向かう。

今回ジャスパーに来るにあたって、是非行ってみたかった場所がある。


ここに、ジャスパー国立公園内にあるアルバータ山に1925年初登頂した日本人、槇有恒が山頂に残した後、数奇な運命を辿ったピッケルが展示されているから。

先日名古屋に行った際にお邪魔したお宅のご主人と話していた時に、以前登山がお好きだったという話から、槇有恒という登山家の名前が出て、その名前を聞いた私は反射的に「その人のピッケルが確かバンフの方の博物館にあった筈…」と言ってしまった。 

私の両親は学生時代に山登りをしていたものの私自身は植村直己と野口健程度しか登山家の名前なんて知らないのに、その発言が自分の記憶のどこから出たのか全く思い出せないまま、昔の登山家の話なら父か母のどちらかから聞いたのだろうか…?等と悶々としながら自宅に戻った後、槇有恒の名を元にググりまくり、槇有恒がアルバータ山初登頂した際に残したピッケルが巡り巡って現在ジャスパーイエローヘッド博物館に保管されていることを知ったのです。

更に、日本の某TV番組がこの件を特集した番組の動画も発見。 ロッキーの映像も多く、槇有恒とピッケルにまつわる逸話が詳しく説明されていたので、興味のある方は見てみて下さい(時間帯によっては回線が込んでいて繋がらないかもしれませんが、[加入する]ボタンは無視して根気よく時間を変えてトライしてみて下さい)。 

博物館自体は建物のわりに展示スペースは小さく、殆どがジャスパーの歴史(先住民や毛皮交易、鉄道史)の紹介。 その一角にアルバータ山登頂史コーナーがあり、ピッケルが!



銀のピッケル
日本人パーティーが登頂を試みた1925年の夏、アルバータ山はカナディアンロッキー山脈の主な山のなかで、唯一未登攀の山でした。
槇有恒が率いるこの日本登頂隊は、ほぼ垂直に切り立った岸壁に長い時間をかけて敢然と挑戦しました。 特に険しい岩の隆起部分では人間はしごを組み、数々の障害を乗り越えて初登頂に成功したのです。
7月21日午後7時35分に山頂に到達した同パーティーは、この荘厳なる山を征服した証しとして山頂にピッケルを置いて下山しました。 何年もの間、地元ではこのピッケルが銀製で、日本の天皇から下賜されたものであると言い伝えられていました。
それから23年経った1948年、アメリカのパーティーが第二の登頂に成功し、山頂で氷の中に埋もれたスイス製の普通のピッケルを見つけました。 しかし、取り出そうとしているうちに下部が折れてしまい、彼らは手元に残った上部四分の三を持ち帰りました。 それはニューヨークのアメリカ山岳クラブ博物館に展示されました。
その後1965年に長野高校山岳部OB隊がこの山に日本人パーティーとして二度目の登頂を果たし、ピッケルの残り部分を回収しました。 ピッケルの上部は1995年にアメリカ隊からもカナダに返還されました。 そして、アルバータ山の山頂に最初に残されてから75年経った2000年8月、この二つに分かれた伝説のピッケルはアルバータ州ジャスパーでの特別式典でついに合体したのです。
このピッケルはカナダ、アメリカ、日本の登山界が共有する歴史に敬意を表して、ジャスパー山岳博物館に展示されることになりました。

山頂に残したメモ
「一九二五年七月二十一日午後七時半、
十六時間の健闘の後に頂上に達す。
案内人フ-レル、コ-レル、助手ウィ-バ-以下
六名の一行は、遙けくも日本よりこの偉大なる山嶽を
慕いて来たれるものなり。」





尚、このピッケルは天皇が下賜したものではなく、槇有恒にアルバータ山登山をそそのかした細川護立公爵から贈られたものだそうです。

引き続きググっていたら、この話が中学道徳教材に紹介されているとか。

こちらの ●466、●467、●468に、1925年(大正14年)当時の登頂を伝える記事や、槇有恒の手記もありました。

槇有恒のパーティーが初登頂に成功したのが、1925年7月21日(大正時代!)で、私達が訪れた日が7月20日。
あと一日で、ちょうど85周年。

そんな昔にスイスアルプスを制覇したり、こんなところまで山登りに来るなんて、すごい日本人がいたもんだ!!



400 Pyramid Lake Rd.
(780) 852-3013
Box 42, Jasper, Alberta,
T0E 1E0

2010/08/11

7月20日 Day 4 - 2


ジャスパーと言えば… というくらい有名なのがこちら、マリーン湖にあるスピリットアイランドの景色。

お約束の風景

母は10年前に行ったことがあり、この風景を見る度に「湖までずーっと車で行って、さらに船に乗って行ったら、この島があって、写真と同じ。 そんだけの事だった。」と未だにその当時のガッカリ感が忘れられないらしい。

なので、今回は湖までの道を半分程度上った所にあるメディスンレイクまで行ってから引き返し、マリーン渓谷を見ることにした。

カリブー(トナカイ)横断注意
ホテルを出たころは快晴だったのに、山の天気はあっという間に変わり、いつの間にか雲がたちこめてきた。

メディスンレイクには、展望台とか何らかのサインがあるかと思ったら、湖手前に車が数台停まっていたところだったのか、と気づいたのは湖を通り越してしまった後。
方向転換して戻ったけど、反対車線側だったので寄らずに通過し、マリーン渓谷へ向かう。


エディスキャベルもそうだけど、この辺は地球が割れて、地面が傾いてしまったんだろうなー(←もうちょっとマシな表現は無いのか)という形の山が多い。


道端にはこの辺で一番よく見かける、インディアンペイントブラシの赤い花が沢山咲いていた。

今回の旅行中、あちこち運転していると、標高が変わるたびに路傍の花の種類が変わっていて、とても興味深かった…… が、いちいち停まって調べるわけにもいかず、高山植物図鑑や野鳥図鑑を持ってこなかったことを悔やんだものです。

マリーン渓谷





橋から見ると、とても深いところにすごい勢いで水が流れているのが見えた。
上の部分にも、水流で削られたであろう壁面の形状があり、周りの山々の雪解け時には、どれくらいの水量になるのだろう…と、気になってしまう。

ランチにパンを齧っていたら、ぽろぽろ落としてしまったパンくずを狙って、地リスが登場。

天からのお与え、パンくず発見!

素早く確保!
もぐもぐ
もっとパンくず落とせー!

(゚д゚)ウマー
目が合った! ピントが合っとらん!
一応、野生動物に餌を与えてはいけません。
でも、パンくずが落ちちゃったから…(苦笑)

地リスに興じていたら、雨が降ってきたので退散~

7月20日 Day 4 - 1

4日目、この日はホテルは変わるものの基本的に移動は無いので、朝はゆっくり起きてチェックアウトの12時までのんびりすることに。


私達が泊まったのは、このキャビンの右端部分。
ちなみに、手前の芝の上にある黒い物体は、鹿のフン~♪
自然の中にステイさせてもらっているので、そのまま放置。




前日ゴンドラで上ったウィスラー山

疲れも溜まった上、バランスの悪い食生活が続いていた為、口内炎やら舌炎が出来てきたので、朝食はホテルのレストランでがっつり食べました。

メインロッジの地下にはレストランやお店があるはずだったのですが、改装工事中で殆ど閉店。
今が観光シーズンピークなのに改装工事中が終わって無いなんて、日本では考えられないけど、えーころかげんなこちらでは良くあることだったりして。

メインロッジエントランス

荷物を積み込むためにベルボーイに車を持ってきてもらうように頼むが、チェックアウトの客が重なったのかやたら時間がかかるので、「自分で取ってくるわ」と鍵をもらい、駐車場から連れてきて、荷物を積み込み、チェックアウト。

前夜の土砂降りの雨のおかげで、土ぼこりまるけになっていた車もスッキリ!